● 幾何学賞受賞者の業績

受賞者: 入谷 寛(京都大学大学院理学研究科 准教授)

受賞業績: 量子コホモロジーの研究

受賞理由: 量子コホモロジーは, シンプレクティック多様体の Gromov-Witten 不変量を組織的に計算する 枠組みを提供する深遠な理論である. Gromov-Witten 不変量は, 大雑把に言って擬正則曲線の個数を数え上げる有理数で1990年に登場した. 量子コホモロジーは通常のコホモロジー環の係数を拡張するもので, 量子カップ積がシンプレクティック多様体の部分空間が どのように擬正則曲線の鎖で結ばれるかを記述し, その展開の係数に Gromov-Witten 不変量が現れる.

Gromov-Witten理論の発展初期の頃, 量子コホモロジーはループ空間上の S^1-同変 Floer理論と等価である という Givental による発見的考察があり, Gromov-Witten不変量の計算のためにも有効であったが, 無限次元の困難があり, 厳密に正当化されていなかった. 入谷氏は, トーリック多様体の中の完全交叉の場合に, S^1-同変 Floer 理論を厳密に定義し, さらに第一 Chern 類が nef の場合に, 量子D 加群の理論を用いて両者が等価であることを示した. これに続き, nefとは限らない場合への拡張, トーリック多様体の場合の Gromov-Witten 不変量の収束性の問題の解決など, 顕著な成果を挙げ, 世界の逸材が集う競争激しい分野で華々しいデビューを果たし, 2009年に「Gromov-Witten不変量に関する研究」という題目で 建部賢弘賞特別賞を受賞している.

この仕事以降, 入谷氏は Gromov-Witten 理論研究の主役の一人として認知され, 先進の研究者との研究交流を深めている. とくに Coates,Corti,Tseng との 2006 年から現在に至る共同研究で, 一般の空間の完全交差について量子Lefschetz定理を示し, その応用として, Ruanによるクレパント解消予想, すなわち軌道体の小量子コホモロジー(3点付き P^1 の場合)は, そのクレパント特異点解消の小量子コホモロジーと等価であるという予想を, 2次元A型特異点の場合に解決した. さらに, BryanとGraberによるクレパント解消予想の大量子コホモロジーの場合への拡張についても 重要な貢献を残し, また, トーリック軌道体の完全交叉の場合の Gromov-Witten 不変量の計算も行っている.

入谷氏のもう一つの, そしておそらくこれまでの一番大きな貢献として, 量子コホモロジー理論に整構造(Γ 構造ともよばれる)を導入した点が挙げられる. シンプレクティック Calabi-Yau 多様体から Gromov-Witten 理論を経由した Hodge 構造変形の A モデル(超弦理論における閉弦側)と, そのミラーから複素構造の変形を経由した B モデル(開弦側)は 如何に関係するかという, ミラー対称性を実質化する上で欠かせない自然な問いがある. 入谷氏は, B モデル側には整係数の通常のコホモロジーから決まる整構造があることを 拠り所に A モデル側に Γ 関数を用いて整構造を導入した. この知見は, 過去のミラー対称性定理をも精密化するものであり, Gromov-Witten 理論研究のエキスパートの間では, 従来の視点では取り付くことすらできなかった問題を 手の内にもたらす画期的な成果と評価されている. 実際, 入谷氏自身も Chiodo と Ruan と共に, 整構造を本質的に利用し Landau-Ginzburg/Calabi-Yau 対応を与え, 整構造の有用性を明示し Gromov-Witten 理論の新たな展開に大きく寄与している.

以上のように, 入谷寛氏の研究業績は量子コホモロジーの研究にブレークスルーを もたらす卓越したものであり, 将来の益々の発展が期待される.


幾何学分科会のトップ・ページに戻る
幾何学賞のページに戻る