長野正
日本に「幾何学賞」が創設されることになった. 幾何学者有志の寄付によるものである. まずはめでたいことである;少なくとも結構なことであろう.
幾何学は数学の中でも, あるいはあらゆる学問の中でも最も伝統の長いものであるが, それだけに大きな変容を受けているし広がってもいる. (『数セミ』で森本明彦教授の「ダルブーの曲面論」を読まれた方は偏微分方程式も一部は幾何学の内, または幾何学も一部は編微分方程式論の内と承知されているであろう.)
今まで幾何学賞がなかったのが不思議な気がするが, 今それができたのも自明(trivial)なことではあるまい. 提案者達の大変な努力があったことは想像に難くない.
賞の目的は, 他の多くのものと同様, 「広い意味での幾何学の」「研究を奨励し, また目ざましい業績を挙げた人々を顕彰するため」である.
しかしながら,今幾何学賞ができたのには深い意味がある. 次回のフィールズ賞が日本に来そうもないと小平邦彦教授が悲観的だったのを覚えておいでだろうか? (本誌「編集部だより」,咋年10月号) おそらく教授の予想は正しいのだろうが, しかしそれは決して当然なのではない. あるべき姿では絶対にない. 我々日本人はもっと創造的,独創的になるべきだし,なれるのである. しかしそれには広範囲の少なからぬ努力が要る.
小平教授のように率直な人はまれだが, それでも日本での研究や大学に問題があるらしいことは次第に知られつつある;例えば, 西沢潤一:「日本の科学技術が危ない」(『中央公論』 2月号).
西沢教授も指摘するように, 大きな問題の一つは研究業績の正当な評価である. 正しい評価はきわめて難しいが緊要である. 単にその分野に通暁しているだけでなく, 重要性を見抜くには将来への洞察もなければならない.
幾何学賞の運営において正しい評価を目指して真剣な努力がなされるならばその意義はきわめて大きいであろう; 研究体制刷新の呼び水になるかも知れない.
賞金の額に読者が興味を持っておいでかどうか知らないが, その基金を適切な規模にするために寄付を歓迎することをお伝えしたい.
『数学セミナー』1987年4月号より,
著者と日本評論社の許可を得て転載.